ここに古いクラリネットがある。
キイは13個しか付いていない。
管体はツゲ材で象牙の補強リングがはめ込まれている。
美しい細工をじっと見つめていると、モーツァルトの音楽を聴いているような気分になってしまうから不思議だ。
ビュッフェ・オージェと弟のルィ=オーギュスト・ビュッフェが、クラリネットを専門に作る会社のお披露目をした。
ときは1825年: ナポレオンがセント・ヘレナ島に流されてからはや10年たち、フランスは王政復古の真っ最中で、シャルル10世はこの年、「亡命貴族の10億フラン法」を成立させている。
音楽家の動静はどうかというと、翌年にヴェーバーが、翌々年にベートーヴェンが、そして、そのまた翌年にシューベルトが相次いで世を去っている。
一方、ベルリオーズは新進気鋭の22歳、ショパンとシューマンは15歳、ヴァーグナーとヴェルディは12歳である。
こんな具合に人名を列挙してみただけでも、古典主義から浪漫主義へ、ヨーロッパ音楽の[パワー・シフト]の実態が、実感として伝わってくるではないか。
ところはパリのパッサージュ・デュ・グラン・セルフ(Passage du Grand-Cerf): 昔の中央市場、レ・アール(Les Halles)に近い古い市街地である。
パッサージュは拱廊状道路で、商店街のアーケードをイメージしてもらえばよい。
入口のアーチに大きな雄ジカ(Grand-Cerf)の頭の彫刻が突きだしていて、いつも通行人を見下ろしている。
シャン・ゼリゼー通りやコンコルド広場の風景からは想像しにくい、入り組んだ裏町のパッサージュなのだが、1960年代まで、おそらく会社ができた頃のままで、その一劃が事務所として使われていた。
ビュッフェ・オージェの跡を継いだ息子が、クラムポン(Crampon)家の娘と結婚して、屋号をビュッフェからビュッフェ・クラムポンに改めた。
[クランポン]で一般にとおっているが、それが多少問題なのだ。
まず、クラリネットを作り始めたのはビュッフェ家であって、クラムポン家は楽器に関係がない。
次に、フラムポンは発音が不正確だ。しかし、商標登録との関連でいまさら改正は難しい・・・。
[クランポン]は日本人がつけた愛称である。
開業して15年目の1839年に、ビュッフェ家に大きな幸運が到来する。
当時の名クラリネット奏者で、パリ音楽院の教授に任命されていたイアサント=エレオノール・クローゼ(Hyacinte-Eleonor Klose)のアイデアを入れて、ルイ=オーギュストがベーム・システム・クラリネットの開発に成功した。
このヒットで事業は拡張し、市場は全世界に広がり、ベーム・システムが好まれる国々では、専門家をほぼ独占している。
企業の栄枯盛衰は世の常なのだが、170年以上、クラリネット製造でトップの座を揺るがせないのは、むしろ奇跡といってよい。
現代の日本では、海辺の防風林が見える中学校でも、三方の窓から高山が見える高等学校でも、ビュッフェ家のクラリネットがごく普通に使われていて、もはや専門家の専有物ではない。
ヨーロッパの高級品が溢れる社会を、やれブランド志向だとか、やれ金あまり症候群だとかいって、やや自虐的に表現する人もいる。が、日本人はよい物を好む。
物をただ[物]としてしか見ないプラグマティズム(Pragmatism)は風土になじまないのである。
掌に乗る陶器に美の深遠を発見したように、日本人固有の本能は、「本物」を敏感に選別する。
ビュッフェ家の血統はもう跡形もない。
ところでビュッフェ兄弟は、日本を知っていただろか・・・。
仮に知っていたにしても、マルコ・ポーロの「東方見聞録」から、黄金の国ジパング程度の知識であったに違いない。
でもそれでよいのである。
ビュッフェ家のクラリネットにとってこの現代の日本は、黄金の国ジパングに外ならないからだ。